法政大学を卒業後、「大好きなスポーツを仕事にしたい」という思いでセントラルスポーツ株式会社に就職しました。
フィットネスインストラクターとして在職中は、「若くて元気があるから一生懸命サポートするだろう」という理由で多くのアスリートを担当させてもらう機会に恵まれました。
そのアスリートたちが活躍する姿やステップアップしていくのを見て、この仕事へ喜びを覚え、またその反面で自分の責任の重さというものも痛切に感じるようになっていきました。
(現在もお付き合いさせていただいている佐々木雅尚さん【元日本代表、現保善高校サッカー部監督】、林健太郎選手【元日本代表、現甲府】、八城修さん【元ジェフ、現桐蔭横浜大学サッカー部監督】もその当時担当していた選手です。長い付き合いですね、人間関係ってほんと大事です)
そんな中で自身の知識・経験不足を補うため、関連書籍や雑誌は当然読みあさりましたが、いろいろな講習会にも参加するようになりました。
そして運命を左右する講習会に遭遇したのです。
それは、当時、関東労災病院スポーツ整形外科医で法政大学アメリカンフットボール部のチームドクターをされていた田中慎一先生の講習会だったのですが、「とにかくその内容が凄いなぁ」と感動してしまいました。
また先生の経歴にも驚きました。先生は整形外科医でありながらアメリカの大学に留学しアスレティックトレーナーの資格を取り、NFL(アメフトのプロリーグ)のチームでアスレティックトレーナーとして仕事をされていたというのです。
講習会後、何とかこの人からもっと学ぶことはできないかという気持ちから「自分の公休日に先生の現場で勉強させいただけないでしょうか」と図々しくお願いに行ったところ、快諾していただき晴れて法政大のアメフト部などで研修させていただくことになりました。
研修中はすべてが新鮮でした。「自分が求めているものはこれだ。インストラクターではなくアスレティックトレーナーなんだ」、また「田中先生も学んだアメリカでこのアスレティックトレーナーの勉強がしたい。そして資格も取得したい」と次第に思うようになっていきました。
その後、田中先生のすすめもあり、3年半勤めた会社を退職しアメリカへ留学する決意をしました。アメリカではワシントン州立大学でNATA(全米アスレティックトレーナー協会)が指定するカリキュラムを履修し、お隣のアイダホ大学で実習単位取得のためインターンシップを行いました。
(私が留学した当時はインターンシップ制でもNATA受験が可能でしたが、現在は大学や大学院のカリキュラムに入る必要があるそうです)
留学中は英語も得意なほうでなかったので大変苦労しましたが、何とか約2年間で必要科目の履修を終え、全米アスレティックトレーナー協会公認アスレティックトレーナー資格も無事取得することができました。
(当時私の寮の部屋でバカ話をして盛り上がっていた仲間のひとりに、R-body project代表の鈴木岳氏がいます。今でもたまに飲む仲間です)
日本に帰国した時期に、ちょうど日本体育協会がアスレティックトレーナー資格の第1期養成を始めたのですが、いろいろな方のご尽力によって東京都からの推薦をいただけて、こちらも取得することができました。
またその翌年には、ヨーロッパに詳しい友人(株式会社ファンルーツ代表の平野淳氏)から「イングランドサッカー協会が公認メディカルコースというのを行なっていてかなりおもしろそうですよ。受けてみたらいかがですか」と言われ、そのレベル4というコースにたまたま申し込んだところ、受け入れていただきそのAコースにはパスできました。
イングランドサッカー協会の最高峰のメディカルコースということで、行ってみてビックリ、大変タフなコースでした。
しかしアメリカで学んだ医科学全般的なものから、サッカーに特化した伝統を感じさせる医科学を学ぶことができてすごく有意義な経験になりました。
このようにいろいろな方と出会い、またその方たちから刺激をいただき、次の自分のステップアップを求め学んできたつもりです。
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